開発の部屋–私達のものづくりスピリット物語

03 ウィジット

TSS新商品開発部は、これまでも様々なものに挑戦し続けてきた。これから紹介するレバー式車椅子駆動システム ウィジットも、その一つだ。生産設備の会社が福祉関連の器具を開発すると言う、一見不思議な組み合わせ。だが、「世の中の役に立ちたい」という社長の思いと、それを知っていた社員がいたからこそ、この製品の開発が始まった。

2005年、ある男性から蒲田工場の吉川に、製品の開発依頼があった。その男性は、彼が以前勤めていた会社の先輩にあたる人物で、一緒に考えて欲しいことがあるとのことだったので、早速打合せを設定し、詳しい話を聞いた。

話の大筋はこうだった。現在、男性の会社で、全く新しい車いす用駆動システムの開発を進めている。それは、従来の様にタイヤ脇のホイール部を掴んで前進するタイプとは異なり、タイヤにレバーが付いており、カヌーの様な要領でこぐ形のものだった。アメリカの会社が駆動技術を開発し、日本の大手ゴム製品会社が、実用化に向けて技術提供をすることになっており、男性は、その両社が共同で設立した車いす製販会社の技術顧問をしていたのだ。

「知っているか?車いすは握力が無いと、長時間の移動やブレーキ操作が難しいそうだ。その点を改善した、力が弱くても操作しやすい機構を、アメリカの会社が開発したんだ。それに俺達の親会社が技術提供、俺の会社が製造販売することになったんだが、興味はないか?一緒に、共同開発してみないか?」

TSSの機械製造とは全く別の未知の分野。どんな仕様が求められるのだろう、それを実現するためにはどんな技術が必要なのだろう。分からない事ばかりだけど、きっと社長はOKをくれる様な気がする…。やってみたい気持ちと躊躇する気持ち、双方が吉川の中に混在した。

「どうしましょうか?社長。」
「車いすねぇ…」

しばしの沈黙。
そして田中の口からは…

「…面白そうな話じゃないか。やってみよう!」
こうしてプロジェクトの幕が開いた。

今回の開発は、お話をくれた車いす製販会社とTSSの完全共同開発。TSSから選ばれたのは、吉川と入社したばかりの上戸の2名で、その他の要員は製販会社側から選抜された。それから間もなくのミーティングで初顔合わせしたメンバー達は、一様に緊張した面持ち。上戸は自己紹介を終えた後、ゆっくりと息を吐きながら思った。

「ここからが、始まりなんだなぁ…」

時間をかけて一つのチームになる、初めの一歩。この時から、彼らの挑戦が始まった。

メンバーが最初に手掛けたのは、インチで書かれた図面をセンチメートルに直す翻訳作業。しかし、ただ長さの単位を変えたり、言語を変換するだけではない。翻訳と同時に図面を読み、設計者の意図を読み取ることが、一番重要な要素となる。それは部品加工や組立などの全ての段階で行われ、失敗や成功を生む。それら作り手達の対話が幾重にも重なることで、一つの製品や技術が生まれるのだ。

図面の翻訳から始まって3カ月、やっと試作機1号が完成した。早速、坂道で使用してみたところ、バキン!…不穏な音に、凍りつく一同。なんと、ギアが壊れてしまったのだ。その他にも確認してみたところ、ブレーキが思うように効かないなど、様々な課題が出てきた。ため息交じりで、上戸は言った。

「…一つ一つ、問題点を潰していくしかないな。」

最初から上手く行くなんて、誰も思っていなかった。でもやっぱり目の前で壊れてしまった1号機を見ると、心が痛んだ。けれど、ここであきらめたら技術者とは言えない!図面から読み取ったメッセージ、「障害があっても自由に動きたい」を実現するべく、メンバーは知恵を絞り、地道な作業を行った。強度のある素材の選別、屋外での使用に耐えられる塗装の種類、機能を損ねないデザイン性、それら全てを考慮した部品の処理方法など…。全てを再検証・分析し、実際に利用する人の意見を聞く日々が続いた。

いくつもの試みを重ねて1年。ようやく販売できるものが完成し、都内で行われた展示会に参加した。腕や肩への負担も従来品より大幅に少なく、握力や腕力の弱い人でも簡単に操作できる、駆動部分は車輪部分のワンタッチ交換で装着可能という手軽さで、評判は上々。その後も展示会に出展し、新聞にも取り上げられ、好評を博した。
展示会からの帰り道には、足取り軽い吉川と上戸がいた。二人の口元からは、自然と笑みがこぼれていた。
「なかなか良い感じでしたね!」
「よし、これで順調にいけば量産も近いぞ。ここからがスタートだぁ!」

順調に歩み始めたチームにある日、予期せぬ出来事が起こった。設計したアメリカの会社との間に、特許をめぐる問題が発生してしまったのだ。初期段階で、それらの問題はクリアーしたと聞いていたのに…これから花を咲かせるのに…メンバーの心に不安がよぎった。

「どうなるんだろうか。私達の車いすは…。」

その後、両社間での協議が続いたが、結局溝は埋まらず、日本側が事業撤退すると言う結論が出された。メンバーの胸の内には様々な思いが駆け巡ったが、彼らに決定を覆すことは出来ない。やるせなさを胸に、またそれぞれの場所に戻った。

こうして事業は終わりを告げたが、彼らが技術者を辞めた訳では決してない。開発を通じて得た様々な新しい知識や経験は、彼らにとって大きな収穫であり、今後の糧となった。作り上げる喜び、道が見えない焦り、新しい知識に出会った時の驚き…いろいろな思いが交錯する現場という舞台で、今日も作り手達は輝いている。

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