開発の部屋–私達のものづくりスピリット物語

02 監視カメラ

1998年、TSSは屋内用監視カメラDOM-1200Bの販売を始めた。この小さな屋内用カメラから始まった、監視カメラ事業。中小企業ならではの小回りのきくレスポンス対応とカスタマイズで、TSSの一時代を築いたと言える監視カメラは、彼らのモノつくり精神を具現化した製品の中の一つといっても過言ではない。

物語の始まりは、1997年の秋だった。

「一緒に監視カメラの旋回台を作ってみませんか?TSSさんの機械の技術が必要なんです。」
「監視カメラ…?」
中国広州にある会社の関係者からの、突然の電話だった。

当時の社長 田中は、訳も分からず応えた。どうやら、彼が入会している異業種交流会の関係者からTSSを紹介され、連絡してきたらしい。
折しも、凶悪犯罪の増加で、「日本は安全」という神話が崩壊し始める直前だった日本。その前兆を察知し、今後はセキュリティ関連の製品が大きく市場を動かすと予測していた田中は、この話に何かを感じとった。
ちょうど良く、その交流会主催の上海研修を間近に控えていたため、その宿泊先で直接説明を受けることにして、電話を切った。

来る研修の日、宿泊先で聞いた彼らの話はこうだった。
『中国の一般的監視カメラは、固定されたものが主流で、旋回機能を持つカメラを市場は必要としている。しかし、欧米からの輸入品では、1セット100万円とかなりの高値。もっと安く、性能の良いカメラを近隣から入手する必要があるのだが、電気部とCCDカメラしか中国で対応できず、要となる旋回台製造の技術が、まだ中国国内にはない。そこで、日本の優秀な中小企業と手を組み、将来的には、合弁会社を設立したい。』

田中は思った。
「この話を信じてもいいのだろうか…。だけど、成功したら技術も獲得できる。確かに魅力的な話だ…。」

「どうしますか?田中さん。私達は本気です。」

「…やってみましょう。」

こうして、屋内用監視カメラの旋回台開発が始まったのだった。

最初に手本としたのは日本の大手企業のものだったが、それよりも小型化・高精度化し、さらに音を静かにする必要があった。そこで社内から、室井、小竹、唐野らをカメラ事業部メンバーとし、旋回台の設計から始めた。しかし案の定、全く未知の分野であったため、数多の困難が彼らの前に立ちはだかった。

田中は、出来るだけ早く自社製のカメラを世に出したかった。利益ももちろんあったが、『自分達はこんなことだって出来るんだ』ということを、世の中に示したかった。ある意味で、焦りがあったのかもしれない。
もちろん、焦りのある計画には無理が出てしまう。必死になって付いていく社員達であったが、それでも譲れない部分、技術者として譲ってはいけない部分があった。

「ここ、この日までに出来るよな」
「社長、それはちょっと…。もっと時間をかけて検討するべきです。そうでないと…」
「それだと目標の売上が達成できないぞ。俺達だって苦しくなる。この日までにやらなきゃだめなんだ!」
「社長、それでは売上どころか、製品自体が目標性能を達成できませんよ!聞いてください、社長!!」

それでも、彼らは田中に追随した。小型化するにはどんな機構や部品が良いのか、基板はどこに納めるのか、この作りで目標とする旋回スピードは出せるか、全てにおける自分達の選択は妥当か…。

山も谷もあったが、カメラの開発は進んでいった。しかし、ここにきて中国企業との関係に亀裂が!ここまできて終わらせる訳にはいかないと、必死の交渉を続けたが、結局取引が無くなってしまった。
今までは何だったのか…と途方に暮れる田中。そんなある日、彼の同級生が声をかけてきた。

当時の日本国内の屋内用監視カメラ事業は、大手セキュリティ会社が席巻しており、中小企業が入り込む隙間は一切なかった。一方屋外用は、比較的参入の余地のある状態だった。
日本の大手電気機器系企業の監視カメラ事業部部長であった男性は、屋外事業に参入するためのビジネスパートナーを探していたのだ。

「なぁ田中…お前のところは、屋外はやってみないのか?やってくれたら、私も嬉しい。だから、一緒にやってみないか。」

これがきっかけとなり、屋外監視カメラのOEM開発が始まった。2000年のことだった。

屋外用の監視カメラは、高速道路や空港に設置されるもので、屋内用の技術が応用できない部分も多い。特に、全天候に対応した旋回台を作る過程で、困難を極めた。屋内用の時には考慮しなくても良かった水漏れ、雪、凍結、温度差から来る耐候性などに対応した技術を、また一から作っていく必要があった。

屋内用の時と同様、やっとの思いで作り上げた屋外用監視カメラ。しかし、それでも最初のころは、出荷してすぐに水漏れで返品されることが頻繁にあった。来る日も来る日も戻ってくるカメラ…しかし、彼らが諦めることはなかった。新メンバーの市井も加わりパワーアップしたチームは、それらを一つ一つ検証して対策をしていった。どの程度の水量をどの程度の水圧で何時間かけたら水漏れするのか、風に向かって歩けないほどの圧の中でも耐えられる機構なのか、求められる性能をどんな方法で評価し保証するのか。製造部門だけでなく、営業などの関係者全員を交えて議論を重ね、何もない状態から全てを構築していった。個別の要求に対しても、中小企業ならではの小回りでカバー。価格競争では大手に勝てないというハンデを、独自のスペック開発と団結力で克服していった。

数多の検証作業からノウハウを蓄積、さらにお客様の信頼性評価を何回も経て、独自の技術を作り上げるという地道な作業。その過程では、社内だけでなく、お客様と衝突することもたくさんあった。けれども、全てが文字通りの共同作業だった。そこから生まれた全ての製品が、作り手達全員の分身であった。
そんな苦労が実を結び、やがて自分達のオリジナルブランドの屋外用監視カメラ OSC-201/202も完成。事業も拡大していった。

十年近く続いた監視カメラ事業。しかし、時代の流れが彼らを襲った。
通信機器の小型化が急速に進んでいた2004年。携帯電話で制御できる監視カメラを製作しようと試みたが、TSSには通信関連の技術がなく、断念。さらに、セキュリティシステム自体が多様化したことで、監視カメラがシステムの中の一つでしかなくなり、システム全体をセットアップするノウハウが無ければ生き残っていけなくなったのだ。

田中は必死になって考えた。自分達が生き残れる、残された道がきっとあるはずだ、と。けれど、いくら必死に探しても、それは見つからなかった。今までの出来事が溢れるように思い出されたが、決断しなければならない時が来ていた。

「…もう、やめよう。」
残された選択肢は、これ一つしかなかった。

協力会社もこれに同意し、正式に撤退することが決定した矢先、屋外用監視カメラの技術を必要としている会社から話をもらい、TSSとのニーズが一致。屋外カメラについては事業売却をすることで合意し、屋内カメラについては生産停止とすることが決定した。
2006年、一部の保守業務を残し、こうして監視カメラ事業は幕を閉じた。

一筋縄ではいかなかった監視カメラ事業。社長の描くビジョンに対して、従業員が必死になって食らいつき、そしてお客様の期待に応える。そこには、会社の垣根を越えた、本気の衝突があった。人として相手にどう向き合うかという人間性の勝負が、確かにそこにあった。
「TSSさん。私はね、こう思うんですよ。誰も一人で仕事は出来ないって。最終的には、人と人なんですよね。立場を越えて人と人が結びついた時に、初めて良いものが生まれるのではないでしょうか。」

事業自体は終わりを迎えるが、お客様から得た学びを胸に、彼らはそれぞれの道を歩んでいる。

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